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■ もっともっといばらき リポート178 茨城県立歴史館(3) その12008.11. 3

訪問日;2008.11.1

第23回国民文化祭いばらき2008の開会式出席のため水戸に来た。せっかくだから、夕方の開会式まで、水戸界隈を回ろう。「漫遊いばらきスタンプラリー」のスタンプも押さなきゃね。
で、国民文化祭のイベントのうち、その他の事業となっている「茨城県立歴史館」の特別展と「茨城県近代美術館」の美術展(洋画・彫刻)、それから「水戸市立博物館」の特別展を見よう。

歴史館では特別展“幕末日本と徳川齊昭”開催中。
水戸藩第9代藩主であり、第15代将軍徳川慶喜公の父親であり、偕楽園や弘道館を創建した人。視聴率トップを誇るNHK大河ドラマ『篤姫』でもかかわりの深い斉昭公。どんな人物なのかな。楽しみ!

「漫遊〜」のクーポンで団体割引で入館。
スタンプも押し、さて特別展へ、と思ったら、その横にもう一つスタンプ。
“歴史散策スタンプラリー”。歴史館のサイトに載っていた。特別展にあわせてのスタンプラリーで、歴史館・偕楽園・弘道館の3館を巡ってスタンプを押すと記念絵葉書がもらえる。3館どこからスタートしてもOKだし、記念品は3館目、どこでも受け取れる。

どうする?このあとの予定は、市の博物館と県の近代美術館。偕楽園も弘道館も2月の梅まつりに来てるし、とりわけイベントないし。どうすっぺ。でも、記念の絵葉書、心引かれる。ああ、「漫遊〜」のスタンプは押せるか。
心で葛藤しながら、とりあえす歴史館のスタンプを押す。

さて、特別展。
3部構成第一部は“藩主として”。

(1)水戸藩とその伝統〜「副将軍」意識〜
水戸藩って、徳川御三家のひとつ。でも、尾張・紀伊の両家とは地位が違うんだって。この両家に比べ領地が極端に少なく、官位も両家は従二位権大納言に対し従三位権中納言、参勤交代が免除されている。んんん、かなり違うね。
で、江戸時代中頃には水戸藩主は副将軍という役割がある、って藩内で考えられるようになった。“副将軍”って地位はないんだけどね。
あれ、江戸時代中ごろって・・・。水戸黄門、こと徳川光圀公は水戸藩第2代藩主。「天下の副将軍、水戸光圀公にあらせられるぞ、控え〜い!」って言うよね。黄門様の時代に、“副将軍”っていう考え方、あったの???まあ、諸国漫遊だってしていなかったけどさ。

まあ、そんな話はともかく、“副将軍”って意識があったから、水戸藩のみならず、国政への関与があったわけだ。
一方で、光圀公以来の『大日本史』編纂で尊王理論が醸成され、イギリス船員の上陸事件などで対外危機を身にしみて感じ、尊王攘夷思想が生まれていく。斉昭公の時代には「天保の学」「水府の学」と称され、やがては大政奉還、政権交代へ導く結果となる。
本来であれば尊王攘夷論を生み出した水戸藩が幕末幕政の中心、さらには明治維新後の新政府の中心となるのも不思議じゃないのに、そうはいかなんだ。水戸藩は最後まで副将軍であり続けることにこだわったんだってさ。藩内の権力闘争がここにもあったんだ。

展示は『大日本史』や斉昭公の藩邸での生活について。それから文政7年のイギリス捕鯨船員上陸事件のこと。この上陸事件の絵は国立公文書館つくば分館の企画展で見たことがある。3年前になるかな。

(2)藩主就任
色々バタバタあったみたいね。
斉昭公は第7代水戸藩主治紀公の三男。長男斉脩公が第8代水戸藩主となったけど、子どもがいない。次男と四男は既に他家へ養子に。で、三男の斉昭公が担ぎ出されたわけだけど、このとき、他に将軍家斉公の子を擁立しようとしていた一派がいた。結局、斉脩公の遺言で斉昭公が第9代水戸藩主となった。
藩主の就任も、色々大変なのね。
さあ、斉昭公の藩政改革が進められていく〜。

(3)藩政改革@〜産業〜
まずは検地を行う。
それから産業振興。新たに馬産、陶器、製茶などにも力を入れる。

(4)藩政改革A〜軍事〜
すでに鹿島灘に異国船が出没していたからね。軍事増強は必至。この武芸鍛錬のひとつが“追鳥狩”。“追鳥狩図屏風”にその様子をうかがい知ることができる。
また、那珂湊に鉄製大砲鋳造のための反射炉の建設を開始したけど、この反射炉の原図は、なんと斉昭公の自筆。すごいねえ。

(5)藩政改革B〜文教〜
たぶん、斉昭公の業績のなかで、一番有名?「弘道館」と「偕楽園」。
弘道館は藩校としては日本一の規模を誇る。今で言うユニバーシティ。医学館もあって、医学・薬学の研究のみならず、病人が願い出れば藩医が治療し、薬も無料で与えられていた。なんて福祉の充実!種痘も行われていたっていうから、すごいね。
この他、郷校という領民の教育機関も設置された。
偕楽園は日本三名園のひとつ。偕(とも)に楽しむことを目的として築造された。
藩士や領民は、弘道館や郷校でいっぱい勉強して、武芸も磨いて、偕楽園でリフレッシュ!してたんだね。

(6)改革の挫折
1844年、突如、斉昭公は江戸に召還され、隠居・謹慎の処分を受ける。いろいろ物言う人だったみたいだから、嫌がられたみたいね。改革は挫折する。
でも、農民有志の中から斉昭公の名誉と藩政復帰を願う運動が起こり、謹慎は解かれ、その後藩政に参与することが認められる。この間約6年。


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