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■ もっともっといばらき リポート142 武田氏館(たけだうじやかた)2008. 4. 9

訪問日;2008.4.6

旧勝田市武田、湫尾神社(ぬまおじんじゃ)の裏手に、「武田氏館(たけだうじやかた)」がある。
場所は茨城交通湊線の“ひたちこうき”駅に近い、那珂川と県道に挟まれたあたり。陸上自衛隊と日立工機、常磐線に架かる武田陸橋を目印にしよう。

去年“風林火山博(ちょっぴり県外10 風林火山博参照)”に行ったとき、甲斐武田氏の発祥の地として常陸国武田が紹介されていた。へえ〜〜〜。知らなかったよ〜〜〜。と、びっくりしたもんだ。
昨年度の漫遊空間いばらきスタンプラリーのスタンプ設置施設にはなっていたけどさ。
で、近くまで来たので、寄ってみることにした。もう、全然タイムリーじゃないんだけど!

県道から案内看板に従って進むと、住宅地の中にひっそりとそれはある。
受付を済ませる。入館は無料。
この施設は平成3年に“ふるさと創生事業”の一環として、武田氏館跡の一角に建てられたもの。門、板塀、堀、厩(うまや)、納屋、そして主屋(おもや)が建築された。主屋は展示室になっている。鎌倉時代の地方豪族(武士)の館を参考にした主殿造り(しゅでんづくり)というものらしい。

東北地方に起こった後三年の役で新羅三郎源義光(しんらさぶろうみなもとのよしみつ)は兄八幡太郎源義家(はちまんたろうみなもとのよしいえ)の苦戦を知り、駆けつける。
源義家の玄孫(やしゃご・孫、曾孫、玄孫ってなるよ)が鎌倉幕府を開いた源頼朝。

で、義家の弟、源義光は常陸守、甲斐介などを歴任していくんだけど、常陸国に勢力を伸ばすべく、長子の義業(よしなり)に常陸大掾(ひたちだいじょう)平致幹(たいらのむねもと)の弟、吉田太郎清幹(きよもと)の娘をめとらせて、久慈郡佐竹郷に配した。義業の長子昌義(まさよし)は佐竹氏を名乗り、佐竹氏の太祖になった。
ちなみに、常陸大掾(ひたちだいじょう)というのは役職名なんだけど、平国香(たいらのくにか)の流れを組む常陸平氏がこの職を代々世襲していたんだって。その一族を大掾氏(だいじょうし)って呼んでいた。平国香(たいらのくにか)は平将門(たいらのまさかど)を討った平貞盛(たいらのさだもり)のお父さん!

さらに義光は三男の義清(よしきよ)を那珂郡(吉田郡)武田郷に配した。義清は武田郷の名をとって武田冠者を名乗り、武田氏の始祖になった。

だけど、義清とその子清光(きよみつ)は武田郷周辺の勢力争いに破れちゃったんだなあ。当時、吉田神社や吉田郡の郡司職を相伝する常陸大掾一族の吉田清幹・盛幹父子、それから鹿島神宮の中臣氏(なかとみうじ)、これら在地旧勢力との三つ巴の争いをしていた。
義清が亡くなった後に“行き過ぎた行為あり”、ってことで訴えられて、清光は甲斐国に配流(はいる)されちゃったわけよ。“行き過ぎた行為あり”っていうのは、まあ、土地問題の争いか何かだろうということだ。
だけど、甲斐国は清和源氏ゆかりの地だったわけで、ここで勢力を拡大していくのだ。 清光は逸見氏を名乗るけど、清光の次男の信義(のぶよし)は武田氏を名乗り、その何代か後の子孫が武田晴信(信玄)。(と、パンフレットなどに書いてある!)

展示室には義清・清光父子の武者人形が飾られ、廊下には武田氏系図なども展示されている。
また、甲冑などの武器・武具類、武田遺跡群の発掘調査出土資料なども見ることができる。
甲斐武田氏のルーツをざっと頭ン中に入れといて、展示を見るといいでしょう。

武田氏館跡は常磐線が通っちゃって、分断されちゃったんだよね。館跡は常磐線の南側にも広がっている。その東側には武田溜(だめ)がある。
武田氏館前にある湫尾神社(ぬまおじんじゃ)というのは武田氏との関係が考えられるんだって。
少し、付近を散策してくればよかったなあ!

ところで、「甲斐武田氏発祥の地 常陸武田の里」というパンフレット、欲しいなあと思い、受付で購入しようとした。「ひたちなか市埋蔵文化財調査センター」にも置いてあったあれ。
でも、これがなかったんだなあ。失敗した〜〜〜。「埋蔵〜」で買ってくりゃよかった!
市役所に行かないと、ということだったので、すぐ近くだし、寄ってくべ、と車を走らせる。
途中の通りに“虎塚古墳”の壁画をモチーフにした旗を発見。
信号機のポールにも模様が。
で、市役所に着いて気づいた。今日は平日じゃないよ!お休みでした。
散々迷った挙句、「ひたちなか市埋蔵文化財調査センター」まで戻ったよ。
ルート的にはひたちなかI・Cに近い「埋蔵〜」の方が先に立ち寄ると思うので、「甲斐武田氏発祥の地 常陸武田の里」というパンフレットが欲しい場合は「埋蔵〜」で買っときましょう!「武田氏館」には置いてないので。520円だあ!