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■ もっともっといばらき リポート255 茨城県立歴史館(6)2010. 2.18

訪問日;2010.02.13

茨城県立歴史館」で開催中の特別展“親鸞−茨城滞在20年の軌跡−”に行ったよ。“常陽藝文”のクーポンで団体割引適用。大人580円が470円になる。

この特別展、もちろん子ども向け内容ではありません。展示品も仏像やら経典やら文書やらでねえ。訪問者の方々もご年配の方が多いし〜〜〜。
しか〜し、いばらキッズ&ジュニア応援サイトもっともっといばらきとしてはそこで終わってしまっては名折れですので、なんとか子ども向けにまとめてみました。

親鸞(しんらん)ってだれ?
小学6年生の教科書には登場せず、中学の歴史ぐらいからかな?
鎌倉時代の新仏教の一つ、浄土真宗(じょうどしんしゅう)の開祖である。
高校生の日本史ぐらいになると、他力本願(たりきほんがん)、悪人正機説(あくにんしょうきせつ)、歎異抄(たんにしょう)ぐらいのことばまで出てくるかなあ???

平安時代の後期には浄土信仰(じょうどしんこう)が貴族や庶民の間で広まっていた。けがれたこの世を去り、阿弥陀仏(あみだぶつ)のいる極楽浄土(ごくらくじょうど)へ往生しようという信仰である。
当時、お釈迦さまが入滅(にゅうめつ・亡くなること)して2000年たつと末法(まっぽう)の世となり、仏の力が及ばず、世が乱れるという思想(末法思想)が信じられていた。実際、藤原氏全盛の時代なのに世の中が乱れてきたので、来世の極楽往生を願った浄土信仰が広まっていったんだねえ。
で、浄土信仰を発展させた浄土宗(じょうどしゅう)を開いたのが法然(ほうねん)。南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と心を込めて念仏(ねんぶつ)を唱えれば、誰でも極楽浄土に行けると説いた。
親鸞はその法然に師事し、後に浄土真宗を開く。時は鎌倉時代初期。親鸞は念仏を唱え、阿弥陀仏を信じさえすれば、“悪人”でさえも、いやむしろ“悪人”の方が極楽に往生できると説いた。“悪人”って、悪いことする人じゃないよ〜〜〜!後で説明するよ〜〜〜!
それまでの仏教は修行やら学問的能力やらが必要だったけど、浄土宗も浄土真宗も南無阿弥陀仏の念仏で救われると説く。ものすご〜く画期的で、貴族に代わって台頭した武士や、さらには庶民にも受け入れられたんだねえ。

親鸞の教えは『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』という著書に記されている。『歎異抄(たんにしょう)』の方が有名だけどねえ。でもこちらは弟子の唯円(ゆいえん)が親鸞の言葉を書き残したもの。「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」の件は有名だよね。自力修行によって仏の世界に至ることができると信じている人(“善人”)ですら往生できるんだから、“善人”以外の人(“悪人”)がどうして往生できないことがあるか。っておっしゃった。
あれ???“悪人”の方がいいの???
阿弥陀如来の本願は、あくまで「自分(阿弥陀如来)を信じ念仏するものは極楽浄土に生まれ変わらせる」というもの。“善人”か“悪人”かは関係ない。そればかりか、“悪人”は自力ではなく阿弥陀如来の力、つまり他力を頼って極楽往生をとげようとするので、阿弥陀如来の絶対的な力で必ず往生できる。でも、“善人”は自分の力で往生しようとするため、往生は不確実なものになる。これが“悪人正機”というものらしい。“善行”を積むことではなく、阿弥陀如来の絶対他力を信じること、これこそが大事〜〜〜!なわけである。
で、“他力本願”、というのはこの他力、阿弥陀如来の力のことで、阿弥陀如来の本願(善人悪人を問わず極楽浄土に往生させるという誓願)の力をかりて成仏する、ということだ。まあ、現代では“他人任せ〜〜〜”の意味で間違って使われることも多いかなあ?

親鸞は恵信尼(えしんに)という女性と結婚もし、子どもも6人いた。
まあ、今でこそお坊さんも結婚し子どももいるけど、当時はこれが禁止されていた。もっともこっそり結婚してたお坊さんはた〜くさんいたらしいけど。でも、親鸞はこれを大っぴらにやったんだよね。

その曾孫にあたる覚如(かくにょ)が本願寺派、関東の弟子が専修寺派を作り、教団が形成されていく。
ちなみに京都には東本願寺(正式名称は真宗本廟で、真宗大谷派の本山)と西本願寺(正式名称は本願寺で、浄土真宗本願寺派の本山)があるけど、これは喧嘩別れしたものではなく、その当時の権力者徳川家康が本願寺を東西に分けて本願寺の力を二分した。幕府の基礎を安泰にしようとしてこういう風にしたらしい。へええええ。
築地にある築地本願寺の正式名称は浄土真宗本願寺派本願寺築地別院。西本願寺の別院なのだ。
牛久大仏」は東京都台東区の浄土真宗東本願寺派本山東本願寺が運営管理する霊園。こちらは東本願寺からいろいろあって分かれたようです。

今でこそ浄土真宗といえば、このように大教団を形成する宗教団体に発展しているけど、教団発足後、消えそうになったこともあるらしい。でも、室町時代には中興し、一向一揆を引き起こす勢力になる。

じゃあ、何故茨城県の歴史館で“親鸞”か。
サブタイトルにもあるように、親鸞は40歳ぐらいからから60歳ぐらいまでの20年間、常陸国(茨城県の一部)に滞在していた。下妻市の小島というところや、笠間市の稲田というところで布教活動をしていたらしい。『教行信証』という著書はここに滞在中に書いたものらしい。
そんなこと、歴史の先生言ってた???

展示の中で、聖徳太子がやたら出てくる。聖徳太子の立像やら絵やら。
聖徳太子建立とされる京都の六角堂にこもってお祈りをしているときに、夢の中に救世(くせ)菩薩、すなわち聖徳太子が現れたそうな。聖徳太子は日本に仏教を定着させた人物だしねえ。そんなこんなで親鸞は聖徳太子を敬い、親鸞に関わるお寺には聖徳太子の絵や像があるんだってさ。

ちなみに浄土真宗では『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)』、『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』、『阿弥陀経(あみだきょう)』の3つのお経、浄土三部経を大切にし、一般に馴染み深い『般若心経』や『観音経』などを読んだり書写したりすることはないそうです。

展示はホント難しかった。加えて、親鸞のこと、浄土真宗のこと、他力本願のこと、悪人正機説のこと、いろいろ調べたけど、これまた難しかった。
でも、まあ、こんな感じのことをザッと頭ン中に入れといて、展示を見てみましょう。
ホントは歴史館の子ども向けガイドがあるといいんだけどねえ!



参考サイト;
浄土真宗本願寺派本願寺(西本願寺)
真宗大谷派(東本願寺)
浄土真宗東本願寺派本山東本願寺
歴史の扉」>第57章
1から分かる浄土真宗(親鸞聖人の教え・入門編)
ほか