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■ もっともっといばらき リポート386 古河歴史博物館(2)2012.11.14

訪問日;2012.11.13

実に、6年ぶりです。「古河歴史博物館」。先月から開催されている秋の特別展“古河公方 足利氏”を見たくって。

さあ、歴史のお勉強です。
室町時代、どんだけ記憶に残っているかなあ?
・・・。残っていない。調べよう。
鎌倉幕府滅びる。
後醍醐天皇が建武の新政を行うも、足利尊氏らがそれに反発して離反し、別の天皇を立てて征夷大将軍に任じられ、京都に幕府を開く。後醍醐天皇は吉野に逃れて南朝を開き、南北朝の動乱に入る。
3代将軍足利義満は南北朝合一を果たし、幕府の力絶好調!勘合貿易でシコタマ儲け、これ見よがしの金箔ピカピカの金閣寺は北山文化だよ!
次はいきなりとんで8代将軍の足利義政の時代になる。東山文化で侘び寂びとか書院造とか銀閣寺とかが出てきて、応仁の乱で戦国時代に突入!
群雄割拠、下克上、足利家は衰退の一途をたどり、15代将軍足利義昭で終わる。
まあ、ざっとこんな感じかな?

さて、足利尊氏は京都に幕府を開いたけど、その室町幕府の仕組みはというと、まず、中央の京都には将軍を助けて政治を行う管領(かんれい)を置く。一族の細川氏、斯波(しば)氏、畠山氏が交代で担当したので、三管領というらしい。この管領の下に裁判を行う評定衆や財政を担当する政所、文書保管などを行う問注所、軍事担当の侍所が置かれた。ちなみに、侍所は山名氏、赤松氏、一色氏、京極氏の中から選ばれ、これら4氏を四職というそうです。
そして地方には鎌倉府、武将の監督などを行う九州探題・奥州探題など、そして守護・地頭が置かれることになるけど、今回の企画展はこの地方を治める機関のひとつ、鎌倉府がポイントで〜す。

鎌倉府は東国を支配する目的で置かれた。
鎌倉府の長官は鎌倉公方(かまくらくぼう)と呼ばれ、京都の幕府と同じ仕組みを持っている。つまり、鎌倉公方の下に補佐役の関東管領、その下に評定衆や政所などが設置されているわけです。で、初代の鎌倉公方も足利尊氏の次男足利基氏がなっているし、鎌倉公方は東国で力を伸ばしていく。

そして4代目の足利持氏のときに事件は起こる。5代将軍義量は若くして子どももなくお亡くなりあそばした。さて、6代将軍はどうする?持氏、自分が将軍職に付けると踏んでいた。しかし、4代将軍義持の弟が還俗して将軍に決まっちゃったわけですよ。しかもくじで!
その後はこの6代将軍になった足利義教と対立して、関東管領上杉憲実も持氏から離反、持氏や子らは自害に追いやられてしまうんですねえ。これが永享の乱というやつです。
で、遺児の安王丸・春王丸は持氏残党に擁立され、結城氏朝に迎えられて挙兵するも(結城合戦)、幕府勢の攻撃で翌年落城し、二人の子は捕らえられ、京都へ護送される途中に殺害されてしまう。

関東管領上杉憲実は事実上、関東の統治者となり、残った持氏の遺児万寿王丸(後の成氏)を5代目の鎌倉公方として迎え、鎌倉府の再建を行う。
ところが、この5代目になった足利成氏と上杉氏家臣長尾・太田氏の権力闘争で江の島合戦が勃発、成氏は江の島へ逃れ、後に上杉憲忠は殺害され、関東を二分する享徳の大乱に突入していくことになる。
で、幕府が上杉方を支持したため、足利成氏は1445年古河に移り、上杉氏勢力との合戦は関東各地で繰り広げられることになる。
こうした動きに対し、1458年に幕府は伊豆堀越に将軍義教の子、政知を迎えて堀越公方(ほりごえくぼう)としている。
そして中央では1467年に応仁の乱勃発。

まあ、こんな感じで古河公方が始まるわけです。
下野、常陸、上総、下総、安房は古河公方勢、上野、武蔵、相模、伊豆あたりは上杉勢って具合で各地で戦いが繰り広げられていた享徳の大乱も、上杉氏と成氏の和睦では終結するけど、その後も安泰とはならない。
北条早雲が勢力を伸ばし、古河公方や関東管領と対立。北条氏康のときに上杉憲政・朝定軍が破れ朝定は戦死、憲政は越後の上杉謙信を頼り、関東管領職を譲る。

古河公方の方はどうかというと、成氏、政氏、高基(高氏)、晴氏、義氏と5代続きます。そして、義氏の嫡子が早世し、家督は娘の氏女(氏姫)が継ぐことになる。
一方、2代目の政氏の子足利義明は古河公方と敵対して小弓公方となる。
豊臣秀吉の命で、氏女は義明の孫の足利(喜連川)国朝と結婚するも国朝は病死、弟の頼氏と再婚する。で、子孫は現代へと続く!!!

すっげ〜、大雑把な室町時代〜戦国時代、でした。
室町幕府は中央の強大な権力を持った政権ではなく、守護大名が勢力を持って連合政権の様になっていたし、将軍家も相続争いで疲弊し、関東では鎌倉公方・古河公方と家臣であるはずの関東管領家とが対立してきた。まあ、そんな状態なら戦国時代突入も納得!
歴史は中央の政治だけでなく、地方にもある。身近な歴史を調べてみれば、中央政権に影響を及ぼすような歴史もあり、歴史を学ぶことがちょっとは好きになれるかもしれないよ。
古河公方は室町時代の関東の政治の中心的勢力であったにもかかわらず、しかも茨城県民なのに知らなすぎじゃないかなあ!と茨城県民の日に反省いたしました。