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■ もっともっといばらき リポート387 茨城県陶芸美術館(4)2012.11.24

訪問日;2012.11.24

茨城県陶芸美術館」の企画展は“明治・大正時代の日本陶磁−産業と工芸美術−”。
展示は、輸出陶磁の全盛、産地の自立と競争、デザイン・技術の新しい波、名工から陶芸家への4部構成になっている。ネコや獅子、薔薇、などなど、様々に装飾された陶磁器が並びます。

第1章 輸出陶磁の全盛
明治時代、殖産興行・輸出振興政策により、日本の陶磁器が欧米を中心に輸出され、さらに盛んに開催される万国博覧会にも出品され、高い評価を得るようになった。フランス側から「展示効果の高い大型のもの」、「西洋人は花瓶の場合、単品を好まないことから、一対のものが良い」という指示まで出ていたとか。
日本的精巧な手工芸品大当たり!
高い技術と東洋的モチーフなどによる写実的で絢爛豪華な作品はジャポニスムの気運を高め、欧米のやきものに大きな影響を与える。そして後のアール・ヌーヴォー、アール・デコへとつながるきっかけとなる。

第2章 産地の自立と競争
ところがですよ〜。陶磁器輸出、伸び悩むようになります。欧米の不況が影響し、倒産する会社も出てきます。窯業は国主導から産地主体による地域的な取組みへと転換し、大日本窯業協会が設立される。
また、ドイツ人科学者のG・ワグネル氏は、日本画を陶磁器に忠実に再現することを目指し、日本の国際的名声を上げようとしていく。

第3章 デザイン・技術の新しい波
1900年に開かれたパリ万博。日本陶磁は惨敗を喫する。
理由、古臭い。ヨーロッパはアール・ヌーヴォー。
皮肉なもので、日本が影響を与えたアール・ヌーヴォーにしてやられるわけですねえ。技術・意匠の改良が急務となる。
国内では各地で西洋技術の導入や窯業技術の近代化などの改革が進められ、これまでとは異なる様相を呈してくる。京都で陶磁器の図案改良のための研究団体「遊陶園」が結成され、製陶業者と図案家がタッグを組んで新図案の提案と研究・実作が行われていく。
洋食器ブランドの「ノリタケ」の生みの親、日本陶器合名会社は新興国のアメリカにターゲットを向け、「セールスマンブック」と呼ばれる図案の見本帳をもとに発注を受けるシステムを確立し、好調な輸出で和製洋食器の製造を軌道に乗せた。

第4章 名工から陶芸家へ
一方で、江戸時代から続く職人技からの脱却が進み、美術工芸的な作品作りを行う陶芸作家が登場していくことになる。すなわち、「職人」ではない「芸術家」としての「陶芸家」が登場する。
陶芸家の社会的地位を高め、日本近代陶芸の発展を促した先駆者として評価されているのが、下館(現・筑西市)出身の板谷波山(参照;もっともっといばらき リポート328)。正規の美術教育を受けた「アーティスト」としての陶芸家としては、日本における最も初期の存在である。


ところで、アール・ヌーヴォー、アール・デコ。よく聞くけどよくわからない。
で、調べてみた。
アール・ヌーヴォー;〔新芸術の意〕
一九世紀末から二〇世紀初頭、ヨーロッパ各国の建築・工芸・絵画などの諸芸術に流行した様式。モチーフを主に植物の形態に借り、曲線・曲面を用いて装飾的・図案的に表現した点に特徴がある。ビアズリー・マッキントッシュなどが代表的。
アール・デコ;〔arts decoratifs の略。装飾美術の意〕
1910年代から30年代にかけて、パリを中心に西欧で栄えた装飾様式。それ以前のアール-ヌーボーが曲線を主とするのに対し、現代都市生活に適した実用的で単純・直線的なデザインを特徴とする。1925年様式ともいう。
いずれもコトバンクの大辞林 第三版の解説より


日本の工芸品が影響を与えたアール・ヌーヴォー。後にそのアール・ヌーヴォーの影響を受けて、日本の陶芸作家が作品を作り出していく。そんなことを頭の中に入れて、作品を見るとおもしろいかもしれません。
所蔵品である板谷波山の“葆光彩磁孔雀尾文様花瓶”をよ〜く見てみましょう。端正な薄肉彫(うすにくぼり)が施された上に絵付けをし、葆光釉(ほこうゆう)をかけている。そのデザインに、アール・ヌーヴォーの影響を受けていることが見て取れるそうです。やわらかな花瓶の曲線に合わせて、孔雀尾文様が描かれている。孔雀の羽根がそよ風で波打つように、見えるのは、目の錯覚なのかなあ?