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■ ちょっぴり県外98 国立科学博物館(10)(東京都台東区上野公園) その12013. 3.30

訪問日;2013.03.30

3月16日から開催されている「国立科学博物館」の特別展“グレートジャーニー 人類の旅”は是非、子どもたちに見てもらいたい展示です。

20年前にアフリカに生まれた私たち現生人類=ホモ・サピエンスは、6万年前、アフリカを出発し、世界中に広がっていく。その地球上に拡散した遥かなる旅路が“グレートジャーニー”。
地球上の環境は決して温暖なところばかりでなく、極寒、熱帯、乾燥、・・・、一筋縄ではない。これらの環境に、アフリカを出た人類の祖先は、どのように適応し生きてきたのか。そのヒントが、今なお伝統社会を営んでいる人々の暮らしの中にある。
探検家、医師、武蔵野美術大学教授という肩書きを持つ関野吉晴氏は、1993年から南米大陸最南端のナバリーノ島をスタート地点に人類拡散ルートである“グレートジャーニー”を遡行する旅を開始、足掛け10年の歳月をかけて踏破した。その旅の中で、氏は世界の辺境を歩き、自然と一体に生活する人々と暮らしを共にしてきた。そして、人類の大先輩たちが培ってきた知恵や技術を目の当たりにしてきた。


展示は、アフリカ・タンザニアのラエトリ遺跡の人類最古の足跡に始まる。360万年前のアファール猿人(アウストラロピテクス・アファレンシス)のもの。
火山灰に残る足跡は2列。片方の列の足跡は小さい。そして、もう片方の大きい列は二重の足跡になっていて、先に出来た大きい足跡の上を歩いて小さい足跡ができている。このことから、この足跡は、オス、メス、子どもの3体の足跡であることが推測される。家族を構成していたんだ!!!サルはボスざるを頂点に社会を形成し、メスが子育てをする。ここんとこ、サルと猿人の大きな違いなのかな?
それから土踏まずがあって遠方まで二足歩行可能である。オスは活動範囲が広がり、遠くからでも獲物をメスのもとに運んでこられるようになる。
今のところ現生人類の祖先の可能性が高いのはセディバ猿人(アウストラロピテクス・セディバ)で、アファール猿人ではないらしいけど、猿人だった頃に、すでに一対の男女による安定した家族が構成され、直立二足歩行をしていたんだねえ。
さて、このような猿人が進化して、現生人類が生まれる。ご先祖様、アフリカの地を後にして、どのように生きてきたのか。
4つの地域での衣食住を通して、現生人類が地球上に拡散し、環境に適応していった様子を探っていく。



まずは熱帯雨林、アマゾンの先住民族の生活が紹介される。

マチゲンガ族はなんでも平等。焼畑を営みながら狩猟採集の生活をしているが、男は弓で狩猟、女と子どもが果実や魚などを採集する。
で、採集物は各自のものだけど、狩りで獲れた獲物は解体し、みんなで分配する。高温多湿のためモノを蓄えて置けないことが、平等に分けることに影響しているらしい。
また、焼畑農業では原生林の特質をまね、混植する。その方が収穫量が増え、病気の蔓延を予防し、動物からの害も最小限で済む。
さらに驚くのは、彼らの豊富で正確な知識。自然をたくみに利用し、密林や川を破壊することなく調和している。これらの知識は生態学者も顔負けなんだそうです。

マチゲンガ族の“これだけあれば大丈夫セット”。弓矢や火起こし棒のほか、ナイフが含まれる。
鉄製のナイフだけは作れないので、これだけは特に必要。逆にこれさえあれば、他の道具も作れるし、密林で生きていける。
確かにそうだ。昔、“サバイバー”という番組があった。何か1つ、家族の写真とかサバイバル地に持ち込めることになっているんだけど、自分だったらナイフを持っていくけどなあと思ったものだ。

必要なものは自然から作り、不自由しない。獲れたものは平等に分配。保存しておく必要もないから。個々人の持ち物も大差ない。
だけど、自然の恵みを受け、共存してきた先住民の生活も、文明の波が押し寄せ、ラジオや携帯電話など大量の文明の利器が入り、このごろは大きく変わってきているそうです。




2つ目、高地からは高低差を利用した暮らし。

アンデス山脈は6000m級の山々が連なる。この高低差により、環境も大きく異なる。ここに暮らす人々はそれぞれの環境に合った農作物を栽培し、運搬には家畜を用いている。そして運搬する家畜リャマのために年に一度道を補修し、橋を架け直す共同作業が欠かせない。コミュニティの結束力がとっても大事!
ここでもやはり、私たちの農業と異なり、多種多様なジャガイモやトウモロコシなどを植えている。長い年月をかけ、品種改良も行いながら。
また、長期保存に向かないジャガイモを、寒暖差を利用して保存食にしている。夜の寒さで凍らせ、昼間の太陽熱でもどす。これを繰り返すことで水分とデンプンが分離するため、踏んで分離した水分を搾り出して、保存食チューニョができあがる。

アンデスの民族衣装は美しい。アルパカなどの毛を様々な染料で染め上げる。
アンデス染色文化の最盛期は2000年も前に遡る。あらゆる動植物の天然染料と鉱物に精通した経験豊かな職人がいたと考えられている。現在でも極一部で天然染料を用いた伝統的な染色が行われているが、その技法の多くはスペインの侵略や化学染料の台頭などによって失われてしまった。
1年かかって織り上げたものに1万円、2〜3ヶ月で織った品に4000円。商人たちが値段をつけた。粗悪なものを何枚も織った方が金になる。加えて、化学染料が手に入る。そのうちに、古典的な染色や織りの技術を知る者が村にはいなくなった。ペルーのケロ村の織物はこうして廃れていった。



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